hahatocoを始めるきっかけ。
これから、私が代表をさせていただいているhahatocoの活動について少しずつUPしていきたいと思います。
ブログやファイスブックをやっている目的でもあるのでね。
私の母は「世界平和」を自分の人生全てかけてやってきている人です。
あっ!!ちょっと大げさすぎました。
飛行機が怖いので「日本平和まで」とママの声が聞こえてきそうです。笑
実は「ママに会ったら人生変わる」「ママに会ったら病気が治る」「ママに会ったら自分のしたいこと、夢が明確になる」と
全国で結構有名になっています。
そんな母の元に育った私は物心ついた時から「人のためになる仕事がしたい。」
と思っていました。
その大きなきっかけになったのが、中学1年生の時の出来事です。
ある日学校から帰ると
部屋の薄暗〜い隅っこの方でうずくまっている、暗〜いお姉さんがいました。
「ママあの人誰なん?」って聞くと
「ママもあんまり知らんねんけど今日から住むからよろしくね♫」
というではありませんか。笑
よくわからないけどとりあえずその日から真知子姉ちゃんとの生活が始まりました。
中学生だったのである程度常識というものがわかってきていた私には、真知子姉ちゃんの行動全てが非常識で考えられない行動でした。
母はいつもお金をもらわず完全にボランティアでやっていました。
母子家庭だったので裕福でもありませんでした。
そんな中真知子姉ちゃんは
お風呂は必ずシャワーで、15分入ってる間ずっとお湯を流しっぱなし。
食事のお手伝いするわけもなく食べたものはそのまま置きっ放し。
お菓子は私たちに分けることなく1人で黙々と食べる。
他にもいっぱいありました。
「めちゃくちゃ変な人」と思って子どもたちは不信が募ってきているのに、母は絶対に顔色一つ変えることもなく、グチなんて絶対に出てきません。
その理由は「人に傷つけられてこんな風になってしまったんやから、ママもそんな人になるわけにはいかへん。誰もどんな人も本来は心の優しい子なんや。それを信じてあげるんや。」と言っていました。
数週間が経って、実家に一時帰宅するからと歩いて10分の駅まで「送って行ったげて。」と母に言われました。
行きはもちろん会話なく無言。
なのに帰り際
あの真知子姉ちゃんが「ありがとう」と言うではありませんか!!
びっくりしました。
あの真知子姉ちゃんがありがとうって言うた!と。
初めてもらった「ありがとう」が
本当に嬉しくて感動で号泣して帰ったのを今でも忘れません。
人のためにするってこんなにもすごいんや!!
と、この時から私は母のように人のために生きて行きたいと強く思うようになりました。
そして選んだ職業が、精神科の看護師でした。
その当時は看護師は人を健康にするお手伝いをしていて、命を守る最高に社会貢献してる仕事やん!
ってなんの疑いもありませんでしたが、、、
私が看護学校の時にIgA腎症になって、このままだと透析しないといけない、そうなったら10年生きれるかわからないよ。
とドクターに告知されました。
一般的に知られている西洋医学では塩・水・運動制限してステロイドを服薬する。
でもママが勉強してきたことは全く逆の塩・水・運動を積極的に取り入れることでした。
もちろんオーガニック。本物のお塩。
そして3ヶ月で治り、ドクターに「誤診やったんかな。」と言うお言葉もいただきました。
誤診で腎臓に穴開けられて副作用キツイ薬飲まされて、挙句透析させられてって。
こんなもんなん?
って自分の体験を通して
世の中良いとされてる情報って全部が全部信用できひんな。
真実はなんなん?
と勉強し始めました。
そしたら
病気を治すために飲む薬や治療が、実は病気を作っているということを知りました。
私の働く病院でも病気が治った人を見たことないどころが、薬を大量に食べる(飲むという可愛いレベルではないくらい大量)、そして20・30年間ざらに入院している患者がいました。
病気になってからでは治すのに時間もエネルギーもかかかる。環境問題にしろ原発問題にしろ戦争にしろ、問題になっていることをどうにかしようとするのも同じこと。
だったらどっから関われが良いのか。
と考えて行き着いた先が
『生まれる前からの子育て』や!
これから未来を作っていく子どもたちを産み育てる(特に)お母さんが賢く強くなれば良いやん!
そして家庭というちっちゃくて一番身近な社会が平和になれば世界平和も夢ではない!
と確信しました。
それがhahatocoの活動の一番最初のきっかけです。